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PROLOGUE
〜プロローグ〜
ヒトの記憶を情報として抽出する・・・
前代未聞の研究プロジェクトが、日本政府によって極秘に設置されたのは、 1960年代後半のことであった。
脳神経細胞の遺伝子研究が専門の若き天才、大槻東陽が主幹として迎えられ、彼の大胆な理論を基礎に野心的な研究が進められた。
1980年代半ば、期待したほどの成果が見られないことを理由に、政府はプロジェクトの中止を検討しはじめたが、
そこに救いの手を差し伸べたのが、政財界に多大な影響を持つ<橘財団>であった。
<橘財団>は、戦後、製薬・食品産業を中心に一大コンツェルンを築き上げた故・橘兵衛の莫大な資産を基盤として、彼の未亡人・橘せつによって創立された国際的な医療福祉財団である。
「プロジェクトの継続は、将来、精神障害者治療に多大な貢献をもたらす」財団の英断によって、プロジェクトは大槻を所長とする財団付属の研究期間、通
称<ラボ>として再出発することになった。
そして1996年・・・
ひとりの少年の登場によって、研究は劇的な展開をみせた。
少年は機器を介することなく、自分の意志で他人の意識内へ潜り込み、その意識や記憶を読み取ることができたのだ。
当時、軽い記憶喪失の症状が見られた少年は、財団系列の神経科で治療を受ける患者のひとりにすぎなかった。だが、少年の脳波データが極めて特殊なものであることを、大槻は見逃さなかった。
<ラボ>は総力を挙げて、少年の持つ能力の科学的解明と、その開発に取り組み始めた。
やがて、コンピュータによる「疑似意識」が開発され、長期に渡る訓練の結果、少年は自分の意識を同調させて、「疑似意識」内へ潜入することも可能となった。
次に大槻が目指したのは、現実の人間を相手にした実験だった。
それは、長年、大槻が抱き続けた夢の実現でもあったが、その前には避けることのできない大きな難問が立ちはだかっていた。
人間の意識内には不確実な要素が多く、
その中に潜り込んで自分をコントロールするには、大きな危険が伴う。
少年には、自分の能力に無自覚だった幼年期、不用意に母親の意識内に潜り込んで発狂させてしまった過去があったのだ。
対人実験を推し進めようとする大槻に対し、入院初期から少年を担当し、少年の精神的な支えともなっていた主治医・波多野景子が、人道的見地から、強くこれに反対した。
波多野の主張は財団上層部に受け入れられ、大槻の研究は足踏み状態を余儀なくされることとなった。
それから数年・・・
大槻の野望は、思わぬことから、陽の目を見ることになる。
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